渇きと喪失
アウトプット。
って言葉はここ2.3年で知った。というか辿り着いたような。
私は音楽、バンドをやっていて作曲・作詞をやっているのですが、そこが今まで一番のアウトプットでした。
しかし、歌詞というのはあくまでメロディや曲の性格に合わせて作るのが前提だと思っているので、論理的に吐くものは好きではありません。
ここで困るのは浅いレベルの意識、主に現実的な私生活の小さな事はあまりストレートに吐けないのです。
例えば身内ネタみたいな、その環境を知る者しか分からないものですね。
私は親友がいますが、もはや家族みたいな捉え方をしていましてあまり弱音を吐きたくないのです。(私は家族に対してツンデレです今は。昔はツンしかありませんでした…)
人生という深い部分のアウトプットは音楽で消費出来るのですが、私は音楽を生業としていませんので(出来てませんし、しようともしていません。)現実的な部分でのハケ口が上手く出来ていません。
三大欲に傾いたり、遊びやお金の消費という安い埋め合わせしか出来ていなかったのです。
ここ最近気付きましたね。
本当は音楽に全て回せばいいのですが、弱い私にはちょっとステップが遠いですね。
私の音楽の表現≠現実に生きる私
ではないからです。
もちろん現実というコントラストありきですが。
すごく回りくどくなりましたが、とにかく私にはアウトプットが必要です。
このブログでは割とそう使っていこうかと。
ただ、アウトプットに酔いしれるのは違うと思います。
愚痴ばっかいうリーマン、というありきたりにはなりたくないですし、
それに寄りかかると性欲処理と同じ安い埋め合わせに成り代わりますからね。
依存は良くないです。沼ですね。
川のようにいたいものです。
釣りは海釣り派ですが。
依存は誰にでも股開く若い女の子のようなものです。
そう。確実に何かを失うのです。
まぁ姿勢や心持ちによりますが、全て。
自分がない。ですね。
それはもう人間ではないです。ゾンビです。Walking Dead。
私はダリルのようなワイルドな男でいたいので、自分を常に感じるようにします。
アウトプットの相手も選びます。誰にでも股は開きません。いや開かせる側か。
相手を選ぶ、は中々言葉にし辛いし的確ではないですね。
もっと手前の段階ですかね。
付き合う人を選ぶ。
私は容姿からしてストイックなタイプなので、(刺激を求める、欲に溺れる事と背中合わせです。)優越感は欲しくない、ただ魅力的(自分より上)な精神の持ち主に自分の考えをぶちまけたいです。
ただ言うだけならコールセンター?でいいです。
ただ自分の思い、考えが相手からどのように返ってくるのか知りたいですね。
纏めると、
アウトプットは重要。
だけ?
じゃなく
結局は姿勢、心持ちによって、溜め込まない事ですね。
まぁ今日のアウトプットはネガティブな事も含むので。
そして人付き合いに関して考えたいです。
結局自分を保てない大きな要因の一つは周りの目ですからね。
結局本当は認められたいのです。
それと自分のバランス。
いくつもの川が合流し過ぎて濁った下流にはなりたくないのです。
なる時もあるでしょう。
ただ出来れば自分の流れを持っていたい。
ふと、昔友達が理由も分からず離れていった事を思い出しました。
今はわかるかもしれませんが、自分も離れる事があったので、結局人と人は一つにはなれない。
そうなる瞬間はあるかもしれませんが、それってこの世に一人しかいない事ですかね?
現実的な私はアツく、腹を割って話したいタイプです。
しかしちょっと掘ってみれば、私の人に対する願望は依存の域に片足突っ込んでいるかもしれませんね。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
この言葉を鵜呑みにしていた時期もありましたが、これもまた適材適所だと最近思います。
新しい一歩を踏み出す勇気を持ちたい時に便利でしょう。
まとめると(二回目)
自分で何でも考えましょう。笑
今の私は一応それぐらいの土台はありそうです。
突き抜ける、という言葉を私は好きですが、
物事は結局バランスが大事なのかなとよく思います。
見えないもののバランスを取る。
それが学びみたいなものではないかと。
自分の天秤で。
いい加減右手疲れたので終わりです。
この長文、最後まで読んだ人がいたらその人は相当ストイックです。
多分私は一文一文振り返る事はないでしょう。