海の底

参考にならない精神修行

今日は割と普通な気分で過ごせました。

 

ここ数週間、中々ギチギチな心境で過ごして多少強くなった気がしてます。

 

 

今回、本当に色んな感情、特に怒りに揺さぶられました。

結局は自分が見て見ぬふりをしていた部分に多少気付かされたような気がしています。

 

承認欲求について何度か書きましたが、その点で大きな転機を迎えました。

 

やはり私は承認欲求が強く、それを他人からの評価でしか埋めれないと思っていましたしやってきました。

だからこそスキルとか空気が読めるような今の自分になったと思います。

 

ただ、いつまでも全てを競争と捉え続けるのは厳しいと感じ始めています。

今回、他人を実はいいように利用していたと気付いてしまいました。

 

人情とかを重んじていたのに、良くしていた相手からそうでもない態度を取られた時、私も相手に嫌な思いをさせていた事に気付いてしまいました。

 

とてもショックでした。

 

なんでこんなにもショックを受けたのかは、今まで長い間気付かぬ所で自分を裏切っていたからだと思います。

信念に背いていました。

 

自分は常に見ているんですね。

 

まぁ仮にサッパリした性格で突発的なものばかりだったらまた違うのでしょうが、私は被害妄想が激しいので、随分沢山の時間を怒りやマイナスな事に費やしたのでしょう。

 

もちろんこれから、そーゆー純粋な感情はあるでしょうし、なかった事にするのは違うとも思います。

 

どう見るか。

見方を変えたり、私はせっかく音楽を通して表現をしているので、そこで昇華するなど色々やりようがありますね。

 

結局、自分を見るしかないのです。

他人の粗や悪い思考なんか考えたって仕方ない。

 

いや表現のネタにはなるので、向き合ったとして、しかし自分に取り込みたくないです。

 

それよりそれに対して、自分が悪い気をぶつけたりしていないか、自分の意識や行いを見ていきます。

 

それをしてしまうのが1番嫌なので。

 

無関心な人間には無関心でいいのです。

よく怒りの対処方に、スルーが1番、みたいに書かれてますが全く出来ません笑

 

今やっと自分のやり方が少しわかりました。

 

結局構ってちゃんで、他人に認められたくて。

相手をコントロールし、思い通りな対応しない相手に勝手にイラついてるだけでした。

 

人はそれぞれ違うから当たり前かもしれないが分かっていなかった。

 

 

私は自分の行いに目を向けます。

そして嫌な環境から炙り出された答えは、やはり自分のやりたいようにやる。

それでしか自分を満たせない。

なんでも自分次第。

 

人に対してはもっとフラットに。

与えられる時には与えます。

 

それが1番共存出来ます。

 

自分が信念に背かず生きていけば、心が満たされて、人の事ばっか考えずより良い事を与えられる気がします。

 

 

この考えをまだまだ染み込ませるために明日も自分を見る事と、アイテム的に謙虚さを持ってやります。