海の底

参考にならない精神修行

ボバー

ここ数年、家の断捨離をするようになりました。人生で初めて。

最初は迷ったら「とりあえず」残していました。何回かやっていく中で常に迷う物なら何か必要な物なんだろうという考えでした。

 

しかしテレビ番組でたまたま見たよくある片付けられない人系番組で、迷ったらとりあえず捨てるとプロが言っていました。

確かに、今まで迷っていた物が捨てなくて良かった、となった事は無かったです。

 

そしてあまりスッキリした感じにもなっていなかったので、迷ったら捨てるようになりました。

 

 

よく精神的な事に関しての文章に、ごちゃごちゃした光景を視界に入れない方がいいと書いてあったのも断捨離を続ける要因でした。

 

確かに慣れて意識的には気になってはなかったですが、ふとした時に意識を奪われる事はあるな、と思いました。

 

そう意識し過ぎたらすごく気になるようになってしまいましたが…まぁ良い事でしょう。

 

 

最近、意識をどこに、どのぐらいフォーカスするかについて感心があるのですが、

先のモノの話と共通すると感じました。

 

意識、思考は絶え間なく鳴っていますよね。

今日は何食べようか、何しようか

あの人今何してるんだろう

あいつウザいな

明日も仕事かー

 

まぁ本当にキリがなく流れ続けていますが、視界と同じでごちゃごちゃしていたら気分が悪いのです。

慣れによって感じてなくても確実に。

 

単純にスッキリした気分の時は気持ち良いですよね。

知っているんです。

 

だから断捨離か必要だなと思いました。

普段は意識に関しては断捨離とは思っていませんが文章上…

 

そこで役に立つのが「死」です。

死から逆算する。

そこから振り返ると、やりたい事をやっておきたい。

やりたい事を考える。

今出てきたやりたい事に対して、必要な事を考える。

 

そう思ったらあんまり時間がないのです。

やりたい事は行動なので、迷っている暇もないですし、意識が向いて入れば自発的に、行動も起こります。

 

私は飲食と音楽の二足歩行の人生と当面は決めています。

その大事な2つの間の思考の切り替えもしなくてはいけないのに、

むかつく奴の事を考えてしまったり、

どうでも良い奴の世界に引きづりこまれている暇はないのです。

 

可哀想だなと思う反面、最近は割と慕ってくれる人間に安心感を与え過ぎないようにしています。

ありふれた優しさという言葉は依存を招く物でもあると考えるようにしています。

なるべく与えるものとしたいですね。

 

話が逸れましたが、

行動は思考から生まれるので、

方向性のしっかりしたクリアな頭でいる事が大事と言いたいのです。

もちろんどうでもいい事も考えますけど、自分が興味あるものをキャッチしたいですね。

 

無駄を削ぎ落とす。

私はバイカーなのですが、ボバーというジャンルのカスタムになぜか惹かれます。

無駄な物(本当は無駄ではないですが笑)を削ぎ落としたスッキリとした見た目のバイクですね。

 

ちなみに私のバイクはフロントフェンダーを取っ払っているのですが、雨の日は常に水を一直線に顔目掛けて巻き上げてくるのでカーブしてるかのような体制で常に乗っています…。

しかし見た目重視なので、これからも付ける予定はありません。

 

私はまだまだ見えるものに囚われていますね。